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2018年09月24日

句集 春の雪

句集をいただきました。
著者さんの俳人15年間の「とりあえず集大成版」かな。

私は、俳句にはまったく疎い人間です。
まず、漢字が読めない・・・さらに、歳時記を知らない・・・
でも、一句一句、じっくりと勉強しながら味わいたいと思います。
まあ、プレバト夏井いつき先生のファンでもありますから。

この句集名「春の雪」は、著者さんの夫さんの命日に詠んだ句から採ったそうです。

 命日の約束のごと春の雪

亡くなられた夫さんは私も大好きで、すごくやさしい人でした。
だから著者さんの春の雪をテーマにした句は、悲しかったり、楽しかったり。
句集には載っていない句も好きです。

 春雪に轍を残し逝かれけり

 これ以上丸まれぬ猫春の雪

本当は出版大大記念パーティーを開きたいのですが、夫さんの好きだった日本酒をちびちびやりながら楽しむことにしましよう。



春の雪A.png



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草ぼうぼう

秋彼岸になり、涼しい空気をたっぷりといただきました。
律儀な彼岸花が「秋になったぞ」と教えてくれています。
猛暑のダメージが残っている体を休めるには、ありがたい3連休でした。

しかし、ゆっくりと秋を楽しむには、あまりにもひどい庭の光景。
草ぼうぼうで、蚊がわんわんで、何とも言えない荒れようです。
このまま朽ち果てようかとも思いましたが、重い腰をあげて掃除をすることにしました。

草ぼうぼうの中に、イチゴの苗が生えていました。
眼を離した隙に(ずっと離していましたが)プランタから伸びた新芽が根付いたようです。
草刈りには邪魔なポジションです。

でも投げっぱなしにしていた私が悪いわけですから、周りの雑草を手で慎重に取り除きました。
しっかりと根がついています。
新しいストロベリーフィールズになれば、また庭掃除をする気になるかなぁ・・・


草ぼうぼう.png



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2018年09月16日

中部こども科学まつり2018

昨日、こどもたちに科学の楽しさ面白さを体験していただく「(鳥取県)中部こども科学まつり2018」が開催されました。
会場は、鳥取短期大学。
自動車でなければなかなか足を運ぶ気にならない場所ですので、少し心配しながらの会場準備でした。

ところが、そんな心配はまったく関係なし。
とにかく、ものすごい数の人が集まってくれました。
会場の教室は決して狭くはありませんでしたが、人・人・人でぎっしりです。

お父さんお母さんとこどもたち、学校の先生、高校の生徒さんたちの熱気は、危ないかな・・・と思うくらい。
教室の入口でボケ〜っと立ったまま中を見ていた私に、小さなこどもちゃんが声をかけてくれました。

こどもちゃん 「これ、おもしろいよ!」 
おやじ 「へ〜え、そうなんだ。どうやって遊ぶの?」

少しびっくりしたようなこどもちゃんは「ふふふ」と笑って、直ぐにバイバイ!!
きっとお父さんと間違えたのでしょうね。

こども科学教室は、今年、21年目を迎えました。
裏方仕事ばかりの私は、こどもたちと科学遊びをする時間がありません。
今の私の願いは、このイベントに来てくれたこどもが、次はスタッフとして参加してくれて、その次は自分のこどもを連れて参加してくれること。

受付をしてくれていた二人の女子高校生に、「君たちは小さい頃、この科学教室に来てくれたことがありますか?」と尋ねました。
「ありません。初めてですっ!!」

まだまだですね。


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2018年09月13日

弁慶丸のメルマガ

私の友人の漁師「弁慶丸」さんは、16年ほど前に脱サラをして漁師なった不思議な人です。
出身は大阪。私たち地元の人間としては大歓迎なのですが、よく奥さんが許したものだ・・・と頭が下がるばかりです。

漁師見習い中は船酔いに悩まされたというエピソードもあり、彼に付いたあだ名は「脱サラ船酔い漁師」。
ところが「本職の漁師でも船酔いをすることがある!」など、彼が教えてくれる漁師の表と裏の話は、腹を抱えて笑えるものばかり。

ですので、彼が配信している「弁慶丸メルマガ」を、いつも楽しみにしています。
先日配信されたメルマガにたいへん面白いお話がありましたので、紹介します。

<ここから>

先日、毎日放送さんのスタジオ収録に参加させて頂きました。
明石家テレビの「実際どうなん!?漁師10人」という企画です。

(中略)

僕達が舞台裏で登場のスタンバイをして、はや20分が経過。
噂どおりに、お笑い怪獣さんまさんのフリートークが終わりません。
しびれを切らした寛平さんと村上ショージさんが、「にぃ〜さん、漁師の皆さん、待ってはんねん、はよ呼んであげて」と、ひと笑いのあと、ようやく登場。

事前の長いアンケート調査に基づき、トークするお題が3問に設定されていました。
弁慶丸は3問目のお題をメインに話をする予定で、アナウンサーさんからの振りのセリフも決まっていました。

しかし、お笑い怪獣さんまさんの話が何度も脱線して、話が前に進みません。
このペースでいけば、1時間番組を収録するのに5時間ぐらい収録するんじゃないだろうか? と不安になりかけた瞬間、

「じゃあ〜また来週〜」
っていきなり舞台裏にさんまさんが走って消えて行きました。

 w(☆o◎)w ガーン

<ここまで>

帰りの車の中で、奥さんからさんざんダメ出しをもらったそうです。
「俺は漁師で芸人ではない」という主張も奥さんには通じず、次回のチャンスを狙って、フリートークの練習をさせられたとか。
相変わらず、夫婦漫才生活を送っておられるようです。

いつの日かきっと、お笑い漁師芸人になる日がくるでしょう。
その時を、楽しみに待っています。

弁慶丸ホームページ 脱サラ船酔い漁師/河西信明奮闘記



弁慶丸.jpg



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2018年09月12日

ぶどう

秋になりました。
この時期、あちこちからぶどうをいただきます。
みな、とても美味しいぶどうです。

わが家のぶどうの木にも、たくさんの実がなりました。
昨年2月の大雪でぺしゃんこに潰れてしまった木は、見事に復活しています。
更に、今年のぶどうは、とても甘いです。

家族に、大盤振る舞いをしました。
「甘いね」とほめてくれましたが、一粒食べた後は、もう手がでません。
お皿に盛られたぶどうは、結局萎びて、ゴミ箱行きとなりました。

タネありぶどうの悲しい運命です。
来シーズンは、種なしぶどうにしましょう・・・
でも、ジベレリン処理って、ほんとにめんどくさいですわ、トホホ



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2018年09月08日

鳥取縣震災小誌

9月6日午前3時8分、北海道で震度7の地震が発生しました。
今朝の新聞では死者18名、心肺停止2人、安否不明19人。
土砂崩れの山の写真を見て、本当の光景なのかと疑ってしまいました。

6日は朝早くから資料探しをして、その後世間と隔絶した部屋で作業をしていました。
地震があったことを知ったのは夕方のTVニュース。
驚いている私を見た家族が、「知らなかったのか」と驚いていました。

地震の驚きに加えて、もう一つ嘘みたいな驚きがありました。
6日の朝、本箱をひっくり返していたところ、一冊のボロボロの本を見つけました。
「鳥取縣震災小誌」という本です。
机の上に置いたまま出掛け、家に帰ってからゆっくり読もうと思っていました。
「つくり話だろう」と言われれば、「そうだね」と言うしかないような話です。

今朝、少しめくってみました。
鳥取大震災は戦時下の昭和18年9月10日午後5時36分に発生。
死者1210人、負傷者3860人、全壊した建物1万3295戸、半壊1万4110戸。

「第三、被害の状況
震禍の日、九月十日! あの恐ろしい地震が発生する瞬前まで、それが刻々とわれわれの前に迫りつつあったとは、誰が知ろう。その日十日もはや夕刻に迫り、平和な各家庭に於いては楽しい夕食の支度に忙しく、官庁や、会社等に於いても残暑の名残りまだ消えやらぬ暑苦しい一日の勤めを終えて、やっと解放された気持ちで帰途につきつつあった。その午後五時三十六分五十七秒、突忽として大地も崩るるかと思う烈しい地震が襲来した。道を歩いていた者は瞬間に地上に投げ出されている自分を見出した。立ち上がろうとしても立てないのである。そこかしこの家々から起こる悲痛な叫喚の声に続いて、パラパラと身を以て逃れ出る人々、斯くてこの瞬間に家々は、建物は、目の前に凄まじい土煙を立てて崩れていったのである。
(中略)
この震禍によって、亡くなられた幾多の生命のあることを思えばその損害たるや単に物的のもののみに止まらず、数的には計上することの出来ない深刻な精神的な被害のあったことも十分銘記すべきものと謂うべきであろう。以下被害状況の概要について記述することとしよう。」

今テレビで、北海道地震の様子を次々と報道しています。
この本の記録と重なり、何とも言えない暗い一日となりそうです。


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2018年09月03日

赤ちゃん泣き相撲

風が、ほんの少しだけ涼しくなりました。
昨日は、賀露神社で赤ちゃん泣き相撲大会でした。

賀露神社の泣き相撲は、平成元年から始まったそうです。
しかし相撲の歴史は古く、江戸時代には境内の土俵で因幡、伯耆の力士が相撲をとり、大勢の見物客で賑わったそうです。
昨日も大勢の見物客、いや、大勢の赤ちゃんと家族連れで、神社の境内は大賑わいでした。

金太郎の腹巻きと豆絞りのはちまき、おむつのまわし姿の力士ちゃんは、男の子は〇〇山、女の子は〇〇川というしこ名で呼び出されます。
見合った後、よいしょ!よいしょ!と空高く3回持ち上げられ、先に神様に声が届いた方が勝ち!!です。

力が入るというか、笑いが入るというか、ほほえましい泣き声です。
さて、わが家の初孫ちゃんは・・・ あ、負けちゃいました。


泣き相撲.png



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2018年08月30日

さくらももこさん

さくらももこさんが亡くなられました。残念です。
娘たちは、ちびまる子ちゃんが大好きで、いろんなグッズを買わされました。
私も大好きでしたので、家中ちびまる子ちゃんになったこともあります。

なぜちびまる子ちゃんが好きだったかというと、
ちびまる子ちゃんに出てくるキャラクターに似た人は、確かにいたような・・・
ちびまる子ちゃんの失敗や、わがままは、自分にもあったような・・・
ちびまる子ちゃんの家庭は、わが家に似ていたような・・・
そして時代背景が、とてもなつかしかったような・・・

ヒロシだった私は、今は友蔵になってしまいました。
買いそろえた本はぼろぼろになって、ずいぶん前に処分しました。
訃報を知って本箱を探してみたところ、1冊残っていました。
「永沢君」です。

何故この本だけが残っていたのだろう?
少し、読んでみました。
ありゃ、これって私の「つぶやき」の原点だったのね。

改めて、さくらももこさんのご冥福をお祈りしました。


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2018年08月29日

竹が枯れた

毎年夏には、裏の崖の竹を切り取って掃除をしています。
今年は暑さのため、さすがにその気になりませんでした。
そろそろ涼しくなりそうな予感もあり、掃除をしてやろうかと・・・

竹が枯れていることに気がつきました。
こんな光景は、これまで記憶にありません。

わが家のお庭の番人おばば曰く、
「竹は100年に1回枯れるもんだ。花がついとるだろう」
残念ながら、花はついていません。

「わたしゃ、枯れたのを見たことがある」
そりゃ100年近くも生きているのだから、1回くらい見ても不思議ではなかろう・・・

二人で議論をしながら、今年の暑さが原因だと結論つけました。
当然のような結論ですが、耳が遠いおばばと酔っ払いじじいの長い議論でした。


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2018年08月27日

おやじの貝殻節考

今年5月、町内区長さんより「賀露誌映像ライブラリー」というDVDをお借りし、賀露漁民に伝わる「貝殻節」にたいへん興味を持ちました。その節回しは、しばらく頭から離れません。
おやじのつぶやき 貝殻節のこと

貝殻節についてネットで検索したところ、「青谷元唄貝がら節物語」というホームページを知りました。そこに掲載されている貝殻節の研究に感銘を受け、ますます貝殻節について知りたくなりました。
おやじのつぶやき 続・貝殻節のこと

いったい貝殻節は、いつの時代に、どこで、誰が作ったのでしょう?
あれこれと調べてみたものの、結局よくわかりません。よくわからないことばかりですから、最後は自分勝手に解釈し、納得してしまいました。これは妄想ともいえる暴挙です。でも、所詮はおやじのつぶやきですので、誰にも迷惑をかけることではないでしょう。
わがままな、おやじ的貝殻節考をご紹介します。


貝殻節考1.png

大正15年(1926)当時の賀露港の様子



いつの時代に作られたのでしょう?
「賀露誌」には、「文化・文政年間(1804〜30)のころ、賀露の漁師によって唄いだされたものと古老が伝えている」とあります。また「青谷元唄貝がら節物語」には、「賀露のホーエンヤ貝がら節について賀露神社の岡村宮司の話によると、唄の節回しは、賀露神社の禰宜唄に貝がら漁の歌詞が着いたが、いつ出来たかは不明」とあります。

地元の記録誌や宮司さんのお話というのは、説得力を感じます。
ここで「禰宜唄」という初めて目にする言葉が出てきました。禰宜(ねぎ)とは神職の職名の一つで、宮司を補佐する者の職。室町時代の職人を題材とした職人歌合『七十一番職人歌合』の中に「禰宜」と「歌」の二つのキーワードが見つかりましたが、「禰宜唄」というのは分かりませんでした(宿題です)。つまり貝殻節が作られた時代は、やっぱり「不明」との結論でした。

どこでつくられたのでしょう?
「青谷元唄貝がら節物語」には「貝殻節は橋津、泊、青谷、浜村、賀露に伝わっている」とあり、お囃子言葉から「青谷がルーツ」とのご見解には説得力があります。一方、賀露では「賀露がルーツ」と伝えられています。宮司さんのお話の中には「賀露のホーエンヤ貝がら節について」と前置きの記載がありますので、「前述5地区それぞれに貝殻節のルーツがあり、賀露の場合、それがホーエンヤ節だった」と、理解すればよいのかもしれません。

誰がつくったのでしょう?
貝殻節は民謡です。民謡とは「不特定多数の民衆によって自由に伝承されているうちに自然と形になった歌の総称(ウィキペディア)」ですので、ここも無難に「不明」と整理したいです。

・・・と、ざっくり整理してみたのですが、これではまったく面白くありません。

現在、記録されている貝殻節でもっとも古いものは、昭和60年に録画された賀露町の網尾一男さんが伝える貝殻節(賀露誌映像ライブラリー)です(たぶん)。それ以前に浜沢長三郎さんの唄がレコーディングされてしていますが、かなりアレンジされていますので、網尾さんが伝える貝殻節を念頭に置いて、背景などを少し調べてみました。

「鳥取県史」によると、貝殻節のテーマである「いたやがい」は明治4(1872)年に大発生し、漁村の不況を救ったそうです。その後小発生を繰り返しながら、大正13年には明治4年をしのぐ大発生があり、昭和4年頃まで漁が続いたそうです。
明治以前は、天保5(1834)年、嘉永6(1853)年に大発生したという記録があります。天保5年から明治4年まで約20年ごとに大発生していますので、天保5年の前の大発生は文化・文政年間(1804〜30)ということになり、「賀露誌」の記録に、なんとなく頷けます。

前述の岡村宮司の話の中に「(貝殻節の)間のお囃子にヤーレ巻いたソーレ巻いたとあるから、早くから「カグラサン」を船で使っていたのではと考えられる」とありました。
カグラサン(神楽桟)とは人力ウィンチのことで、江戸時代の後期(18世紀後半)に九州の捕鯨集団が鯨の引き上げに使った道具のようです。
私は「ヤーレ巻いたソーレ巻いた」というお囃子の貝殻節を聞いたことがありません。しかし網尾一男さんの貝殻節のお囃子は「ヤーレ押せソーレ押せ」ですので、やはりカグラサンを使っていた頃の様子が盛り込まれた唄だと思います。
「青谷元唄貝がら節物語」には、大正中期の頃もカグラサンを使っていたとありますので、貝殻節がつくられた年代は、江戸時代後期から大正中期まで幅広く考えなければならないでしょう。

もう少し、歴史を調べてみました。
「鳥取県史」には、藩政時代の漁業制度には沖漁と磯漁があり、沖漁が許されていた漁村は、因幡国では大羽尾、網代、田後、船磯、酒ノ津、夏泊とあります。この制度は明治初期まで続いています。賀露の名前がありません。賀露は磯漁だったのでしょうか。
賀露港は、主に海運業で発展した港です。明治以降陸路が整えられ商港としての機能が衰え、賀露住民は漁業へ活路を求めるようになりました。明治45年に山陰線が開通した後は、海運業はほとんど衰退しています。大正13年のイタヤ貝大発生の際には、県内漁業者が一斉にイタヤ貝獲りに転換したとのことですので、この時期、賀露の漁師の世界にも大きな変革があったと考えます。

そこで、賀露のイタヤ貝漁が盛んだった時期は、たぶん大正13年以降だろうと考えました。賀露のホーエンヤ節が文化・文政時代につくられたものだとしても、歌詞や節回し、お囃子は時代とともに変化したはずです。現在伝わっている貝殻節は、大正後期から昭和の初めにかけて整えられたのではないかと思うのです。
元唄を伝える網尾さんは明治の終わりか大正の初めに生まれた方ですので、当時の唄の原型をほぼ伝えることができたのではないでしょうか。

ここで、もう一つの大きな疑問がわきました。この歌詞をつくった人のことです。
網尾さんの貝殻節の歌詞には、「なんの因果で貝殻ひきなろた 色は黒なる身はやせる」とあります。(浜沢長三郎さんの唄は「何の因果で貝殻こぎなさる(以下同)」、浜村温泉の貝殻節では「何の因果で貝殻こぎなろた(以下同)」です)

漁師の家に生まれて漁師の仕事を受け継いだ人間が、「何の因果で」と、漁師になったことを改めて疑問に思うでしょうか。例えそれまではイタヤ貝漁ではなく他の漁をしていた漁師だったとしても、漁師が「イタヤ貝漁のおかげで、色が黒くなり、身が痩せる」と嘆くでしょうか?
もしかしたら、この貝殻節の歌詞は、漁には縁がなかった人間がイタヤ貝漁師になってからつくった歌なのかもしれません。

もしそうだとしたら、それは大正13年の大発生以降のことで、そこには新民謡ブームの影響があったのではないでしょうか。
新民謡とは、「大正期後半(1920年頃)から昭和期にかけて、地方自治体や地方の企業などの依頼によって、その土地の人が気軽に唄ったり踊ったりできて愛郷心を高めるため、またその地区の特徴・観光地・名産品などを全国にPRする目的で制作された歌曲(ウィキペディア)」とあります。新民謡である「浜村の貝殻節」は、昭和7年頃に作られています。映画「夢千代日記」に使われたこともあり、全国的に有名になりました。

民謡の元唄には、現に唄われているものとはかなり異なるものが多々あります。賀露の貝殻節は、新民謡と同様にたいへん整った歌詞や節回しです。完成された民謡であり、わりと近い時代に作られたのではないかと思うわけです。
賀露に伝わる労作歌に「舟曳唄」があります。こちらは泥臭くて漁師の力強さが込められている唄で、貝殻節のような繊細な節回しではありません。つまり貝殻節は、地元労作歌とは少々ルーツが異なっているのではないかと考えてしまったのです。

※ 網尾さんが伝える貝殻節は、「賀露町伝承芸能保存会」により伝えられています。網尾さんの唄に新しく歌詞を加えたり、追分の節を入れたりして、芸術性が高められていますが、これは賀露町の民謡家浜沢長三郎さんの功績に他なりません。


貝殻節考2.png



大正から昭和にかけて、大正ロマンという言葉に表されるように。個人の解放や新しい時代への理想に満ちた風潮が現れました。しかし賀露の漁師たちは、貧困と辛い労働を強いられていました。その中で、やむを得ず漁師として働かなければならなかった人たちの労苦は、想像を絶するものだったでしょう。その時生まれたのが労作歌貝殻節だとしたら・・・
しかし決して新しい歌ではなく、過去からずっと引き継いでいる漁師の労苦を改めて伝えるための力強いメッセージだった、としたら・・・

賀露に詩人がいたのかもしれません。
(おやじの妄想です。さっと見流してやってください)
「自分の意に沿わずに漁師になってしまい、その苦労に負けてしまいそうだ。けれどそのことを分かってくれて、笑顔で送り出してくれる母や帰りを待つ愛する妻子のために、なんとしても頑張らなければならない。この賀露でずっと苦労を続けている漁師たちのように」

今後、現在の貝殻節が再びアレンジされることはないでしょう。
そして、これからもずっと賀露に伝えられるのでしょう。
大切に残したい地元の労作歌(愛の歌?)です。


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